大学受験というのは頭の良さを正確には反映されていない。
大学受験で評価されるのは頭の良さ、勉強時間と計画を立てる力の積と思う。
頭が良くなくても計画を立て、努力できるものが報われるシステムになっている。
大学受験で必要とされているもの
基本的に言われたことを忠実にきちんとこなすことができる能力だと思う。つまり良いになる良い子ちゃんです。
特に医学部や法学部など、資格に関わるものはその傾向が強いと思う。
資格というのはミスなく言いつけを守り、不満を言わずきちんと働く者に適しています。つまり、大学受験で求められている能力と言えます。
そこでは特別な頭の良さも多くの大学では必要とされていないと思う。それらが必要なのはせいぜい東大くらいではないだろうか。東大卒の人は社会の仕組みを作る側に回ることが多いためある程度の頭の良さをはかる必要があるためだと考える。
因みに私は一応旧帝大卒だが、自分を含め同級生で頭が良いと感じるのはせいぜい1割程度だ。ただし、言いつけをしっかり守る努力家はものすごく多い。
学歴に賢さは全く反映されていない
重要なのは、受験では全くと言っていいほど賢さは評価されない。私は大人になって頭の良さより賢さの方を評価するようになった。世の中学歴はないが賢い人間はいっぱいいる。そのような人の方が評価されるべきだと思う。
ちなみに前にも書いたが医師の中で賢い人はほんのわずかしかいない。そもそも賢い人間は医師の仕事などやってられないと思う。
賢くなる為には謙虚になり、自分より賢いと思える人と行動を共にし、賢い人の思考に触れる以外ないと思う。
謙虚になり自分を見直すこと
高校3年生夏、部活を引退したばかりの私は模試を受けた。結果は英語、数学、化学、物理とも偏差値40に満たなかった。
学校の定期テストでは中頃の成績であった私はその結果に愕然とした。それまで自分のことを少し頭が良いと思っていたからだ。とんだ勘違いである。
そこで自分のできなさ、何の取り柄もないことを実感した。冷静に自分のことを見つめ直す習慣ができ、謙虚になれたと思う。
それから、人を接する時にその人が自分より優れている分野を探し出しなぜ優れているか分析した。そこで感じたのは、学校の成績が人たちよりも悪い人たちの方が優れている点が多いことだ。そこで受験で求められている事と頭の良さ、賢さはそれぞれ全く違うと感じた。
しかし、現実的に非常に成績の悪かった私は焦った。そして私は人生ではじめて塾に通った。しかしそこが非常にコスパが悪く自主性のない所だと感じた。自分で問題点を探し出し、勉強する計画を立てる方が良いと痛感した。
私はそこから家に篭り勉強の計画をたてた。2週間ほど計画をひたすら練っていたと思う。その習慣は今でも非常に役に立っていると思う。
計画の立て方
私は計画を立てる時、短期と中期で別々の目標を立てる。
短期とは日単位で1週間ごとにタイムスケジュールを割と細かく立てることだ。
中期とは月単位で3ヶ月毎に目標を立てることだ。
受験というのは人生と違い、問題となる範囲が決められている。なので短期と中期の計画がしっかり立てられれば問題ないと思う。
私は計画を立てつつ独学で参考書や問題集を読みあさった。そこから1年半程で偏差値はほぼ倍になり、晴れて大学に受かった。その時までに200冊ほどの問題集を解いていた。
今考えると驚異的な速さで、しかもよく飽きずにやったなと思うが、それは計画を立てていたおかげだと思う。
計画を立てることは受験だけでなく、全ての事象に有効と思う。今でもそのような事象に対してはまず計画を立てるようにしている。
ただし、人生は時間的制約はあるが選択肢が多い為、自分でできることは数え切れないほどある。そこでは長期的な目標は必要である。
これは非常に難しい。10年後、20年後の自分を想定し、年単位の計画を立てる必要がある。
人生の目標
若いうちに人生の目標を持つのは非常に難しい。なぜなら時間的制約を意識することが少ないからだ。
私もまだ持っていない。
今は漠然と、自分のやりがいや家族の将来を思い、経済的自由を達成するための数値目標を持っているくらいのものだ。
もっと、自分を見つめ直し自分にとって必要なものとそうでないものをしっかり分別しながら真の目標を見つけていきたいと思う。
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